「おくのほそ道」出羽路での歌仙

     
 羽黒山五重塔  三神合祭殿  南谷・芭蕉句碑

 D 歌仙 「有難や」  (曾良俳諧書留)   羽黒山  本坊

六月四日、羽黒山で会覚に謁し、同所で本巻を表六句まで興行。翌日これを継ぎ一折とする。九日、さらに継いで歌仙を完了する。
 羽黒山本坊ニおゐて興行 元禄二、六月四日

有難や雪をかほらす風の音      翁

住程人のむすぶ夏草        露丸

川船のつなに螢を引立て       曽良

鵜の飛跡に見ゆる三ケ月      釣雪

 

有難や雪をかほらす風の音      翁
 この南谷のほとりにはまだ残雪でもあるのか、暑い盛りなのに雪の上を渡ってきたような薫風が南から吹いてきて、清浄の地のありがたさが、身にしみて感じられることだ。本坊の主人、別当代会覚に対する挨拶の意がある。季語は「風薫る(薫風)」で夏。

住程人のむすぶ夏草         露丸
 草庵を作るのを「草を結ぶ」ともいう。ここの夏草もその意味での草で、ようやく住めるくらいの手狭な所ですといっている。本来は会覚が付けるべきところを露丸が代わって付けた。

川船のつなに螢を引立て       曽良
 夏草に螢は付合。前句の草庵を水辺の景と見たてた。
 『おくのほそ道』の歌仙には、よく螢が出てくる。奥州に第一歩を踏んだ須賀川の、芭蕉の「かくれ家や目だたぬ花を軒の粟」を発句とする歌仙で、主人の栗斎が付けた脇は「まれに螢のとまる露草」であった。大石田の「さみだれを」の歌仙で一栄の脇も「岸にほたるを繋ぐ舟杭」であった。
 発句にしても、曽良は羽黒山で、「もがみの泊」と前書して、「稲舟に休みかねてや飛螢」と詠んでいることが、「月山発句合」から知られる。
 曽良が、「川船の」と「稲舟に」と、二つも船にかけて「螢」を詠んでいることは、よほど川辺の螢が印象的だったのだろう。芭蕉も、平泉で、「夏草や兵共が夢の跡」とともに、「螢火の昼は消つゝ柱かな」と詠んでいる。

鵜の飛跡に見ゆる三ケ月       釣雪
 川辺の蛍に鵜は付合。この歌仙は晩夏六月四日の昼に巻かれて、前夜は三ケ月であった。藤原定家の、花鳥和歌各十二首の鳥の部には、「鵜」は六月の鳥になっている。鵜飼の季も、夏で、六月の部に入っている。この「鵜」は鵜飼のことではないから、「三ケ月」を秋への季移りと考えてよい。船がうかぶ川筋で、鵜が飛んでいったあとに、細い三ケ月が見え、蛍のかぼそい光もちらついている。

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