芭蕉は清風を「富める者なれども志いやしからず」と賞し、清風の心あたたまる厚いもてなしにこたえる挨拶として、4句を並べています。「ねまる」「飼屋」「眉掃」「古代の姿」という発想が、みちのくの風土に発見した古代への讃歌という形で挨拶の情をさらに深めています。また、「ねまる」は、土地の言葉を取り込んだ句です。みちのくの旅であれば、和歌では望郷の思いとか、旅の不安とかを主に詠むのが普通ですが、芭蕉は「わが宿にして」と旅にありながらそこをわが宿にしています。

 昭和58年7月3日、清風宅(現当主は15代目鈴木正一郎氏)の東隣りに尾花沢での芭蕉と清風の再会をしのぶ「芭蕉・清風歴史資料館」が開館しました。

 尾花沢で歌仙「すゞしさを」と「おきふしの」の2巻を巻いたが、目立つことは地元の風物伝説などに寄せる関心の深さです。清風や村川素英を含めて芭蕉自身の生活体験や知識がふんだんに取り入れられています。

元禄2年(1689年)
5月17日(陽暦7月3日)
 芭蕉と曾良は「おくのほそ道」の旅で、山刀伐峠を越え、昼過ぎ旧知の鈴木清風宅に着き、この日は清風宅に泊りました。
5月18日(陽暦7月4日)
 昼、養泉寺で風呂に入り、この日から養泉寺に延7泊しました。
5月19日(陽暦7月5日)
 村上素英が養泉寺で奈良茶をご馳走しました。
5月20日(陽暦7月6日)
 小雨(記事なし)
5月21日(陽暦7月7日)
 朝は鈴木小三郎(東水)宅、晩は沼沢所左衛門(遊川)宅に招待され、この世は清風宅に泊まりました。
5月22日(陽暦7月8日)
 晩は、村川素英に招待されました。
5月23日(陽暦7月9日)
 夜は、沼沢仁左衛門(秋調)に招待されました。この夜は、日待(ひまち)の行事があり、その夜は清風宅に泊りました。
5月24日(陽暦7月10日)
 晩は、田中藤十郎(一橋)が養泉寺でもてなしてくれました。
5月25日(陽暦7月11日)
 夜、沼沢仁左衛門(秋調)に庚申待(こうしんまち)に招待されました。
5月26日(陽暦7月12日)
 昼より沼沢所左衛門(遊川)宅において歌川平蔵(東陽)がもてなしてくれました。
5月27日(陽暦7月27日)
 晴れ、午前6時30分ごろ尾花沢から山寺へ向かいました。鈴木清風が楯岡まで馬を用意してくれました。


 このように、尾花沢の俳人たちは毎日のように芭蕉と曾良を日待や庚申待の土俗的な信仰行事に招いたり、あるいは奈良茶などの御馳走を持参して養泉寺を訪ねています。夜ふけまで地元の人びとの世間話に耳を傾け、みちのくの風俗習慣に触れたことは奥羽行脚での得難い体験であったでしょう。

 清風は、若いころから商取り引きで京都や江戸に出る機会が多かった。清風撰の俳書『誹諧おくれ双六』(延宝9年刊)の自序に、「花の都にも二年三とせすみなれ、古今俳諧の道に踏迷ふ」とあります。また、『誹諧一橋』(貞享3年刊)の友静序文に、「これ陸奥の住鈴木清風、俳諧の修行者となって、都・江戸とわたりつくし」とあり、商取り引きのかたわら俳諧に親しんだことがわかります。

 清風は通称八右衞門(3代目)、諱を道祐といい、慶安4年(1651)に生まれ、享保6年(1721)に没しています。清風は俳号です。清風は、正徳元年(1711)12月、長男に遺言を書いています。その前半には隠居するに当たっての二、三男以下への家産分与、後半には冒険や一獲千金を戒める家訓的遺言七か条が記されています。この遺言と清風にまつわる伝説とはあまりにも対照的です。

 清風伝説には、元禄15年に江戸問屋たちが清風の紅花荷物をボイコットしたとき、品川海岸でニセ紅花(赤く染めた鉋屑)を焼き捨て、市場の「紅花大尽」となった話、江戸吉原の三浦屋高尾のことで仙台藩主と恋のさやあてをした話、吉原の大門を閉め遊女全員を休ませた話などがあります。いずれも人間の本能を肯定し、武士によって卑しめられていた商業活動を認めており、元禄商人の自信を思わせます。         


 芭蕉と曾良が七泊した慈覚大師開創の東叡山寛永寺直末の天台宗弘誓山養泉寺は、梺町の古道(旧羽州街道)にあります。養泉寺の建物は、明治28年(1895)の大火時に類焼し、同30年に再建されたもので、昔のおもかげはありません。寺前の古道から坂下を見下ろすと、水田が一面に広がり、北西に烏海山、正面に葉山、月山が美しく見え、高台にあるため涼しい風が吹き抜けます。養泉寺は、元禄元年(1688)、つまり芭蕉来訪の前年に大修理され、木の香も新しく、旅の疲れをいやすには絶好の場所でした。


 芭蕉の尾花沢滞在中にもっぱら接待を務めた村川素英の逆修墓(生前墓)が旧羽州街道沿いの上町観音堂にあります。さらに南へ進んだ横内の株式会社明友本社工場・そば処明友庵前に「おくのほそ道」尾花沢文学碑(昭和62年10月、西塚義治建立)があります。

   尾花沢 ― 涼しさをわが宿にしてねまるなり

 尾花沢にて清風といふ者を尋ぬ。かれは富める者なれども、志卑しからず。都にもをりをり通ひて、さすがに旅の情をも知りたれば、日ごろとどめて長途のいたはり、さまざまにもてなしはべる。

 涼しさをわが宿にしてねまるなり

 這ひ出でよ飼屋が下の蟾の声

 眉掃きを俤にして紅粉の

 蚕飼ひする人は古代の姿かな   曾良
 

                        (角川文庫本『おくのほそ道』)

 養泉寺前の旧羽州街道 晴れた日には、坂下から鳥海山、月山、葉山が見える。
「おくのほそ道」出羽路の芭蕉Top
芭蕉・清風歴史資料館
芭蕉が尾花沢滞在中七泊した養泉寺
鈴木清風邸跡
清風撰の俳諧書三部作
養泉寺境内の「すゞし塚」
上町観音堂境内の村川素英の墓
そば処明友庵前の「おくのほそ道」尾花沢文学碑