本合海の矢向神社
「おくのほそ道」出羽路の芭蕉Top

 6月3日(陽暦7月19日)、好天に恵まれて新庄を立ちました。
 本合海から船に乗り、古口で新庄より持参した通行手形を出して船を乗り継ぎ、清川で上陸して羽黒山手向に向いました。
 芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」の句は、大石田一栄亭での「さみだれをあつめてすゞしもがみ川」の句形で、五月雨で増水している最上川の急流を川船で下って「あやう」い体験をして改作したのです。 

 最上川は、『古今和歌集』時代(905年)から歌枕として有名です。         

 もがみ河のぼればくだるいな舟のいなにはあらずこの月ばかり


 最上川を上ったり、下ったりしている稲舟の、その「いな(否)」ではありませんが、この月ばかりは都合が悪くてお逢いできません、という恋の和歌です。これ以降、最上川は、稲舟とともに東北地方を代表する歌枕となって後世の歌人たちに歌い継がれ、数多くの歌集に登場し、歌の数も七六首にのぼります。

 室町時代初期に書かれた『義経記』の中に、源義経主従が文治3年(1187)2月、平泉に落ちのびる途中、清川(立川町)から合海(新庄市本合海)まで最上川を川船で遡のぼる様子を記しています。
 本合海から清川間の最上川には義経伝説が数多く残っています。「やむけの大明神」「くつわ滝」「かぶとの明神」「沓喰」「駒形の滝」「弁慶のつぶて石」「仙人堂」「よろいの明神」「白糸の滝」などです。いずれも、文治3年(1187)に義経が兄の頼朝に追われ平泉に下向する際に船でさかのぼった時の伝説です。
 芭蕉は、最上川・板敷山・白糸の滝に歌枕意識をもって接し、義経を追慕しながら最上川を下ったと考えられます。

最上川舟下り―五月雨をあつめて早し最上川

 最上川は陸奥より出でて、山形を水上とす。碁点・隼などいふ恐ろしき難所あり。板敷山の北を流れて、果ては酒田の海に入る。左右山覆ひ茂みの中に船を下す。これに稲積みたるをや、稲船というならし。白糸の瀧は青葉の隙々に落ちて、仙人堂、岸に臨て立つ。水みなぎって舟危し。


 五月雨をあつめて早し最上川

                           
                    
(角川文庫本『おくのほそ道』) 

「白糸の滝」