「おくのほそ道」と地域づくり

尾花沢歴史文化専門員 梅津 保一

山刀伐峠山頂の「子宝地蔵尊」と「子持ち杉」

山形県は「おくのほそ道」に関心をもったり、松尾芭蕉の名を目や耳にしたことのある人の割合が最も高い県だと思います。あるいは、芭蕉の句を知っている人の割合が最も高い県だとも思います。

 世相を反映して耳障りな言葉、命短き言葉の氾濫に否応なしに巻き込まれている私たちからすれば、これはすばらしいことです。芭蕉の句は不易の作品であり、泡のごとくに消えゆくものではないからです。

 元禄二年(一六八九)五月十七日(陽暦七月三日)、芭蕉は門人曾良をともない、けわしい山刀伐峠を越えて尾花沢に鈴木清風をたずね、十泊しました。芭蕉は『おくのほそ道』で、清風を「かれは富るものなれども、志いやしからず」「さすがに旅の情をも知たれば、日比とゞめて長途のいたはりさまざまにもてなし侍る」と、絶賛しています。一九八三(昭和五十八)年七月三日、芭蕉と清風の尾花沢での再会をしのび、雪のまち尾花沢の生活を振り返り、地域の歴史と文化に対する認識と理解を深め大切に保存して子孫に伝えることを目的として芭蕉・清風歴史資料館が開館しました。

 八九年度の「おくのほそ道」紀行三百年祭を通して、「おくのほそ道」が一層市民に知られるようになりました。特に芭蕉が七泊した養泉寺のある梺町では全戸加入の史跡保存会を結成し、「芭蕉・清風祭」を立ち上げました。

 「おくのほそ道」の旅への関心は芭蕉に縁のある日本の各地でみられるが、尾花沢市におけるこのような芭蕉と「おくのほそ道」の旅へのかかわり方、関心の在り方は、ユニークであります。そして、「おくのほそ道」の旅や旅で芭蕉が発見したもの、記したことを、未来に向かって敷衍(ふえん)し、より豊かな地域づくりに生かそうとの動きは、芭蕉を生かし、芭蕉に学ぶ一つの途であります。

 私は、退職後、尾花沢市歴史文化専門員として芭蕉・清風歴史資料館に週三日勤務しております。芭蕉の「おくのほそ道」に関心を抱き、故国伊賀上野のほか、「おくのほそ道」全コースを訪れつつ、出羽路の芭蕉論を進める一方、地域の歴史と文化に関心をもつ私にとっては天職です。また、退職後にこのような形で社会貢献できることは有難いことだと感謝しています。 二十一世紀を迎え、経済的豊かさを超えた真に豊かな生活や社会・地域を創造する上で考えていかなければならないことは限りなくあります。私は、いま、地域の環境や長い歴史の中で培われてきた地域の個性・美しさ・秩序、地域が有するさまざまな資源の活用といった、二十世紀社会が軽視してきたことの解決という、日本が世界に対して率先して示していくべき事柄について考えています。開発か保全かといった単純な考え方からの脱却と、持続可能的発展という、世界中で求められている課題に向けての一つの試みを考えているのです。.

 松尾芭蕉は、「おくのほそ道」の旅をとおして「不易流行」を提唱します。変わるものと変わらないものが相対立するのでなく、変わるものは変わらざるものから出てくると言っております。今日こそ、変えてはならないものをしっかり見つめ、変えなければならないものを勇気を持って変えていくことが必要なときと言えます。

 今後の地域づくりは、複雑な構造をもつ地域課題への対応が求められます。このため、従来のような行政主導の地域づぐりにとどまらず、地域住民、NPO、民間企業等の多様な主体が参加していくことが必要です。これによって、価値観やライフスタイルの多様化等に対応するきめ細かいサーピスの提供と質の向上が可能となります。

芭蕉・清風歴史資料館(尾花沢市)

 多様な主体の参加に伴い、例えば官と民の間で適切な役割分担を図ることが必要になるので、地域づくりの主役となる人づくりや活動を支援する新しいしくみづくりを進めるとともに、それぞれの主体が責任と高い意識をもって参加していくことが特に必要となります。

 尾花沢市では、豊かな自然や独自の文化等の地域資源を再認識したり、地域独自のマーケットを活用した新たな価値観(理念)に基づく取組みが芽生えはじめています。

 私は、尾花沢市歴史文化専門員として地域再発見の活動や独自の価値観づくり等を進めながら、地域の魅力ある個性を磨き活用していくことの重要性を訴えています。