芭蕉「雪」の句

 

                      梅 津 保 一

 

山本健吉『基本季語五〇〇選』(一九八九年三月十日発行 講談社学術文庫)の「雪」の項に、「六花・雪の花・雪華・雪片・粉雪・積雪・根雪・新雪・しまり雪・ざらめ雪・湿雪・ベと雪・雪紐・筒雪・冠雪・雪冠・雪庇・水雪・細雪・新雪・小米雪・衾雪・しずり雪・しずり・堅雪・雪空・雪気・雪催い・雪模様・雪雲・雪曇・雪暗・雪風・雪明・雪の声・大雪・小雪・深雪・雪月夜・雪晴・雪景色・暮雪・雪国」をあげている。

樹氷が美しい、中山越え「大深沢」

昔から、「雪は豊年の瑞」と言われている。雪の結晶の形にはたくさんの種類があるが、六角状に結晶することが多いので六花とも言う。気温が高い時に降る雪は雪片が大きく、とけかかった牡丹雪が多く、低い時は小さく、さらさらに乾いた粉雪が多い。積雪が下積みになって春まで残るのを根雪と言い、積ったばかりの軽い雪を新雪と言い、積雪のきめの細かいしまったものをしまり雪、表面の雪がいったん融け、また凍ってざらめ状になったものをざらめ雪と言う。また粉雪に対して、湿雪またはべと雪という言葉もある。塀や木の枝などに積った雪がとけて滑り出し、紐の如く垂下かったものを雪紐と言う。電線などに凍りつくと筒雪となる。門柱、電柱などに積って大きく松茸状になると冠雪、または雪冠と言う。山の急な傾斜面には雪庇ができることかある。水分をたくさん含んだ積雪を水雪と言う。斑雪ははだれともはだら雪とも」言い、まだら降った雪、近年春としている。細雪はこまかく降る雪、餅雪・小米雪はその形状を見立てて言ったものである。衾雪は物を厚く蔽い包んだ様に言い、しずり雪またはしずりは木の枝などから落ちる雪である。堅雪は昼間の暖気でとけた雪面が、夜の寒気でふたたび凍結しぴんと堅くなったものである。雪空・雪気・雪催い・雪模様は雪の降ろうとする空合であり、雪雲は雪模様の雲、雪曇は雪雲の曇り、雪暗は雪曇で暗くなること、雪風は雪をさそう風、雪明は雪のため闇夜の明るくなることである。雪は音もなく降るものだが、雪の降る夜、耳を澄ますと、空でさらさらと音を立てているような感じのすることがある。暖国のたまに降る雪とちがって、積雪が二階の屋根までも達する雪国では、たいへんな生活の脅威である。

古くは、その年の農作物の豊凶を、山に咲く花、あるいは山にかかる雪を以て占った。土地の精霊が、あらかじめ豊年を村の貢として見せるために、雪を降らせるものと考えた。だから雪は、稲の花に見立てられたのだ。山の側面に現われる鳥形、駒形、人形などの残雪の形が、種蒔、田植などの農候として伝承されているのも、もとは同じ信仰である。後には地上の雪も、山の雪と同様に見られた。

古代の信仰では、冬ごもりのあいだに戚力のある霊威が人の身に寓るものと信じていた。雪の久しいことは、冬ごもりの期間の永いことであり、その間における発育の大きいことである。雪の久しさをいうことがそのまま慶賀の詞になっているのである。そういう信仰が、雪をよろこび、鑑賞する態度を導き出してくるのだ。連俳では春の花、秋の月に次いで、夏の時鳥と並んで、冬の雪が季節の代表的景物として尊重されるのも、そういう生活的伝統が根底にあったのである。

「万葉集」時代は「雪」を、冬とも春ともしているようだ。雪は寒い時のもの、すなわち冬の景物でありながら、同時に春をひらき、村々の幸福を予祝する花の一つと考えられたからである。連俳では、月、花とともに、雪の例句はおびただしい数に上る。

 

芭蕉生涯(一六四四〜一六九四年)の全発句数は、概算一千と言われる。もちろん今日に残るものを数えたので、存疑の句の中には、将来芭蕉の句として登録されてくるものもあるだろうから、この数は不安定である。

中村俊定校注『芭蕉俳句集』(一九七〇年三月十六日発行 岩波文庫)には、芭蕉の作と明らかに認められる発句を、文献によって制作年次順、年次不明のものは推定によってそれぞれの年次の後に九八二句配列している。また、参考として、存疑とすベきもの五三〇句、誤伝と明らかにされている発句も初句二〇八句を五十音順に付録としている。

現在伝わっている確実な芭蕉の句で、最も古い作品は寛文二年(一六六二)十九歳の吟「春やこし年や行けん小晦日」の句である。最後の句は元禄七年(一六九四)十月八日五十一歳の吟「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」である。

冬の最上川ビューポイント(本合海) 本合海の雪に建つ、陶製の芭蕉像と曾良像

芭蕉の「雪」の句を前掲岩波文庫『芭蕉俳句集』から抜き書きし、中村俊定監修『芭蕉事典』(一九七八年六日三十日発行 春秋社)などを参考に注解してみよう。     

寛文六年(一六六六)   二十三歳

七   時雨をやもどかしがりて松の雪(続山井)

時雨をばもどきて雪や松の色(詞林金玉集)

o「松」に「待つ」をかけ、松の雪の景を擬人的に見立てた。

寛文七年(一六六七)   二十四歳

一一  餅雪をしら糸となす柳哉(続山の井) 

o柳に餅雪(牡丹雪)が降りかかると、白糸餅になることよと見立てた。

子にをくれたる人の本にて

三一  しほれふすや世はさかさまの雪の竹(続山井) 

o「世はさかさま」は子が親に先立つことをいう。「世」は「節(よ)」に通じ、「竹」の縁語である。雪に倒れ伏す竹の景に悼意をこめた。

三二  霰まじる帷子雪はこもんかな(続山井) 

o「帷子雪」は雪片の薄く平たいのをいう。「こもん」は小紋で、こまかい模様の織物。帷子雪に霰のまじる様を、帷子(衣類)の縁から小紋のようだと見立てた。

    寛文九年(一六六九)   二十六歳

三五  浪の花と雪もや水のかへり花(如意宝珠) 

o「浪の花」は波の白波を花に見立てた。雪を波の花というならば、これは小春に木の返り花があるように水の返り花であろう、の意。

      延宝五年(一六七七)   三十四歳

七一  先しるや宜竹が竹に花の雪  (江戸広小路) 

o宜竹は一節切(ひとよぎり、尺八の類)の名人。「吉野山を雪かと見れば、雪ではあらで花の吹雪よ」の小唄の文句をふまえ、名人の音と、花の風情をとりまぜた趣向の句である。

八四  富士の雪廬生が夢をつがせたり(六百番誹諧発句合)  

o黄梁一炊の間に栄華をきわめた夢さめて悟る謡曲『邯鄲』の主人公。邯鄲に「東に三十余丈の銀の山をつかせては」とあるのを、富士の雪ととりなしてうたったものである。

      延宝七年(一六七九)   三十六歳

一〇八 今朝の雪根深を園の枝折哉 (向之岡)

o「根深」はねぎ、「枝折」は目じるし。園が一面の雪である。根深の植えられていることで、園のめじるしとなり、それと知られるというのである。

      延宝八年(一六八〇)   三十七歳

       富家ハ肌肉ヲ喰ヒ、丈夫ハ菜根ヲ喫ス、予ハ乏し

一二二 雪の朝独り干鮭を噛得たり  (東日記) 

o「肌肉」は肉づきをいう。ここは単に肉というに同じ。「菜根」は疏食である。宋の江修民の語に曰く、「人常ニ菜根ヲ咬ミ得レバ、則チ百事做スべシ」とある。前書、富家は肉を食い、丈夫は粗食に甘んずるというが、自分は貧しく乏しいだけだという意。侘びに生きる俳人芭蕉の心境を示した。

   天和二年(一六八二)   三十九歳

一四九 雪の鰒左勝水無月の鯉 (虚栗) 

o前書「杉風が採茶庵に涼て」(続深川集)。歌合、句合の形式。雪の頃のふぐ料理より水無(陰暦六月)の鯉料理の方がよいというのである。

一五八 夜着は重し呉天に雪を見るあらん(虚栗) 

o西清詩話・詩人玉屑等の「笠ハ重シ呉天ノ雪、鞋ハ楚地ノ花香シ」に想を得ている。寒夜に夜着を重ねたのを笠の重きになぞらえ、この寒さでは雪でも降ることであろう、の意。

一六〇 雪の内の晝顔かれぬ日影かな (雪のかつら) 

o雪の中を生きて、暑熟の昼に咲く昼顔の様子をよんだものか。

      貞享元年(一六八四)   四十一歳  

古益亭

二〇一 冬ぼたんちどりか雪のほとゝぎす(笈日記)

o牡丹の折の時鳥に比して、冬牡丹に応ずる千鳥を「雪の時鳥」と見立てたのが一句の眼目である。

二〇二 雪薄ししら魚しろきこと一寸(笈日記) 

o上五「明ぼのや」を改案。改案のことは『三冊子』にもいう。改案では冬の季ではなくなり、白魚の句となり春となる。折しも浜にあげられた白魚を見ての作であり、鋭い感覚の句である。

    桑名にあそびて、あつたにいたる

二〇三 あそび來ぬ鰒釣かねて七里迄(雛筥物語)   

熱田に移ル日鰒釣らん李陵七里の浪の雪(桜下文集) 

o李陵は子陵の誤か。厳子陵の釣った所を後人厳陵瀬と呼び、七里灘(浙江省桐盧県)と相接していた。『万葉集」巻九浦島子の長歌に「堅魚を釣り、鯛釣りかねて」とあるのをもじったものである。

    旅人をみる

二〇五 馬をさへながむる雪の朝哉(甲子吟行) 

o上五「馬をだに」(続阿波手集)。雪の美しく降った朝は、旅人だけでなく、馬でさえ何かしみじみと眺められる、の意。

    抱月亭

二一一 市人にいで是うらん笠の雪(笈日記) 

o市の人々よ、この笠を受ろう。雪の降りつもったこの笠を、の意。

    抱月亨

     市人よ此笠うらふ雪の傘(野ざらし紀行)  

市人に此傘の雪うらん(赤冊子稿本)   

杜国亭にて、中あしき人の事取つくろひて

二一二 雪と雪今宵師走の名月か(笈日記)

o前書は支考による。師走の名月は陰暦十二月十五日の月のこと。師走の名月の下、融合して見える雪景色に、仲をとりもつ意をこめての句である。

    猫山

二一五 山は猫ねぶりていくや雪のひま(天和年間―五十四部) 

o前書「みちのく名所の内、猫山」(一葉集)、中七「眠りはいてや」(一葉集)、中七「ねむればゆくや」(旨原百歌仙)、季題は残雪で春の句。猫山は磐梯山の別峰猫間嶽のことか。舐と眠をかけている。

    黒森

二一八 黒森をなにといふともけさの雪(天和年間―五十四部) 

o黒森は酒田市(加藤楸邨説)。黒森も何といおうとも白い森となったの意。「陸奥名所句合 天和年中」にある。

      貞享三年(一六八六)   四十三歳

   十二月九日はつ雪降のよろこび

二七四 初雪や幸ヒ庵ンに罷有ル(続虚粟) 

o俳文「草庵の初雪」(栞集)がある。『説叢大全』所収の杉風家藏の真蹟によれば、十二月十八日の作である。初雪が降って来た。旅にあってではなく、幸ひ庵にいる時に降ったので嬉しいことだ、の意。

二七五 初雪や水仙の葉の撓(たわ)むまで(陸奥ちどり) 

o『篇突』に「水仙の葉のたはむ程と云は、例の季と季の取合にてこそ、春雪にはうごきかたけれ」とある。句意明らかである。初雪を待ち得たよろこびがある。

    友人ニ対ス

二七六 君火をたけよきもの見せむ雪まるげ(続虚栗) 

o前書「草庵をとぶらへる人に対して」(笈日記)。下五「雪丸」(笈日記)、下五「雪まろげ」(雪丸げ)。『雪丸げ』には長文の前書がある。雪まろげとは雪をころがし丸めて大きな塊としたもの、雪まぼろし、雪まろがせなどという。雪中をよく訪ねてくれた、君へのもてなしによいものを見せよう。君は火を焚いていてくれ、私は庭先の雪で雪丸げをこしらえて見せよう、の意。曽良に語りかけた発想の句。

   深川雪夜

二七七 酒のめばいとゞ寝られぬ夜の雪(勧進牒) 

o寝られぬは已然形。強意・詠嘆をあらわす。雪の夜に興じ、酒を飲むと、一層心は冴えていよいよ寝られないことだ、の意。

二七九 月雪とのさばりけらしとしの昏(貞享年間―続虚栗) 

o「のさばり」は勝手気描に振舞うこと。「けらしとし」はけるらしの約。過去の推量だが、ここでは詠嘆の意に使っている。世間では生活に意をつくしているのに、自分は月や雪といって気ままに暮らして今年も年末を迎えたことだ、の意。

      貞享四年(一六八七)   四十四歳

       不二

三一六 一尾根はしぐるゝ雪かふじのゆき(泊船集) 

o下五「雪の不二」(三冊子)。他の山をぬいて全山雪の富士が聳えている。一尾根に薄暗い雲がかかっているのは、時雨を降らしている雲であろう、の意。

三一七 京まではまだ半空や雪の雲(笈の小文) 

o前書「鳴海の駅に泊って、飛鳥井雅章の君、都を隔とよみて給はらせけるを見て」(蕉翁句集)。飛鳥井雅章は歌人。細川幽斎に学ぶ。延宝七年没。六十九歳。その歌は「けふは猶都も遠く鳴海潟はるけき海を中にへだてて」、都まではまだ道の半ばであるが、中空に雪雲が垂れ、行途を思いながめることだ、の意。

    伊羅古に行道、越人酔て馬に乗る

三二二 ゆきや砂むまより落て酒の酔(合歓のいびき) 

ゆきや砂むまより落よ酒の酔(真蹟) 

o中七「むまより落て」(合歓のいびき)。「伊羅古」は伊良湖岬、愛知県渥美半島の西端。字津江の坂下にある江比間の地名に酔馬を寄せて吟じたものである。砂の上に雪がつもっている。酔って馬に乗ったため落ち、砂まみれ、雪まみれになったことだ、の意。

    鳴海、出羽守氏雲宅にて

三二九 面白し雪にやならん冬の雨(千島掛) 

o前書「同二十日なるみ鍛冶出羽守饗に」上五「おもしろや」(如行子)。句意明らか。雪を待つ風狂の心と、亭主への挨拶の意を含んでいる。

    熱田御修覆

三三一 磨なをす鏡も清し雪の花(笈の小文) 

o「熱田御修覆」は熱田神宮の修理。磨ぎ直された鏡の面も清らかに、折からの雪もすがすがしく照り映えていることだの意。『熱田後歌仙』(文化十年)に貞享四年十一月二十四日の献詠とある。

    有人の会

三三二 ためつけて雪見にまかるかみこ哉(笈の小文) 

o前書「兼日の会に」(曠野後集)。「ためつく」は衣服を正しく着用することで、正装する場合に言った例が多い。『如行子』に「同二十八日名古や昌碧会」と前書あり。雪見の会に招かれたが行脚の身である、せめて紙子の皺や癖を直して出かけることだと云うのである。袴や肩衣にためつけるを用いるのが普通だが、紙子なのでおかし味が生ずる。

三三四 いざ行む雪見にころぶ処まで(笈の小文) 

o上五「いざさらば」(花摘)、「いざ出む」(真蹟)、俳文「書林風月に」(真蹟)参照。さあそれでは雪見に出かけよう。雪にすべってころぶところまで。軽くたわむれた句。

    蓬左の人々にむかひとられて、しばらく休

三三五 箱根こす人も有らし今朝の雪(笈の小文) 

o今朝起きてみると、すっかり雪景色となっていた。今ごろ自分の越えて来た箱根の嶮路を越す人もあることだろう、の意。安息を得ていることへの感謝、亭主への挨拶。

      元禄元年(一六八八)   四十五歳

四五二  二人見し雪は今年もふりけるか(庭寵)     

次のとしならん、越人が方へつかはすとて

    二人見し雪は今年も降けるか(笈日記)

o俳文「越人に送る」(庭蹴集)参照。

「塞けれど二人寝る夜ぞ頼もしき」に応ず。君と二人で見たあの伊良古の雪は、今年も降

ったであろうか。しきりに思い出されることだ、の意。

     むかし深川にて米買といへる題を置て

四五三 米買に雪の袋やなげ頭巾(浮世の北) 

o前書「深川八貧 文は今略之」(泊船集)。前書「深川八貧」・上五「米買て」(今日の昔)、前書「雪の夜の戯に題を探て、米買の二字を得たり。」(路通真蹟)。雪の降る中を米を買いに出る。米袋を即興の投頭巾としてかぶって行こう、の意。

      元禄二年(一六八九)   四十六歳

六〇七 雪の中に兎の皮の髭作れ(いつを昔) 

o前書「山中に子共とあそびて」(泊船集)、上五「初雪に」(蕉翁句集)、『去来抄』『三冊子』参照。初雪に雪兎など作って遊び興じている子供達よ。さあそれに兎の毛皮で髭をつくりつけてごらん、の意か。

        中比元禄巳の冬、大仏栄興をよろこびて

六〇八 初雪やいつ大仏のはしら立(笈日記)   

ならにて

雪かなしいつ大仏の瓦葺(花摘)

o元禄巳は己巳、元禄二年。奈良の大仏殿は、永禄十年松永久秀の兵火にかかり、大仏のみで殿はなかったが東大寺の僧竜松院が浄財を募って再興をはかり、貞享五年釿始、元禄五年三月再建の開眼供養が行なわれ、十年四月初めて立柱の運びとなった。初雪が降り露坐の大仏にふりかかっている。今作られている大仏殿が完成し、柱立が行なわれるのはいつのことであろうか、の意。          

知月といふ老尼のすみかを尋て

 

六一二 少將のあまの咄や志賀の雪(奉納集)   

少将の尼のはなしや志賀の雪(芭蕉句選拾遺) 

o前書「智月老尼の栖を尋て」(岩壷集)。「知月」は智月で大津の蕉門俳人。乙州の母。「少将の尼」は、鎌倉時代の画家藤原信実の女。志賃の里の雪に智月尼を訪ね、この風情にふさわしく、近くに隠棲したという「おのが音の少将」の尼の話をしたことだ、の意。

      元禄三年(一六九〇)   四十七歳

     信濃路を過るに

六六四 雪ちるや穂屋の薄の刈残し(猿蓑)

o信濃御射山(みさやま)祭は七月二十七日、芒で御仮屋を作るので穂屋の神事ともいう。御仮屋を造るために刈った薄が刈り残りその薄の上にちらちらと雪か散っている、の意。

    旅行

六六五 はつ雪や聖小僧の笈の色(勧進牒)

o「聖小僧」は修業僧のこと。初雪が降りはじめた。折から聖小僧に逢ったが、見ると笈の色も褪せ、それに雪が降りかかり、いかにも旅のわびしさを感じさせる、の意。

    小町画讃

六七三 貴さや雪降ぬ日も蓑と笠(己が光)

o前書「あなたふとあなたふと、笠もたふとし、蓑もたふとし。いかなる人か語伝え、いづれの人かうつしとゞめて、千歳のまぼろし今ココに現ず。其かたちある時は、たましゐ又ココにあらぬ。みのも貴し、かさもたふとし。雪が降らない日も破れた蓑笠をつけた小町の絵を見ると、若く美しかった頃を経て、侘びた老年の心境が知られて、貴いことだ、の意。

    湖水眺望

六七六 比良みかみ雪指わたせ鷺の橋(翁草)  

o中七「雪かけわたせ」(蕉翁句集草稿)。比艮山は琵琶湖の西、三上山は東南の野州郡にあり、湖をはさんで相対する。日枝三上雪懸わたせ鷺の橋(雪月花)。鷺よ、鵠が橋をかけるように比良と三上に雪の橋をかけわたせ、の意。

      元禄四年(一六九一)   四十八歳

       耕月亭にて

七四一 雪をまつ上戸の顔(かほ)やいなびかり(茶草子)   

o中七「上戸の額」(花の市)。「耕月亭」は菅沼氏、三河国新城の武士。「上戸」は酒のみ。稲光りがする、いよいよ雪かと雪見の宴を待つ上戸の顔がいきいきとした、の意。

    行脚としをかさねて東武にかへりて

七四七 ともかくもならでや雪のかれ尾花(北の山)

o前書「三秋を経て草庵に帰れば、旧友門人日日にむらがり来りて、いかにととへばこたヘ侍る」(蕉翁句集)とにもかくにもまあ無事にこうして戻って来たことだ。庭の枯尾花も雪の中に折れずに残っている、の意。

      元禄五年(一六九二)   四十九歳

      深川大橋半かかりける比

七八〇 はつ雪やかけかゝりたる橋の上 (其便) 

o『武江年表』によれば、深川の新大橋が完成したのは元禄六年七月である。『陸奥ちどり』には「深川の草扉を閉、ひそかに門を覗ては、初雪やかけかゝりたる橋の上など独ごちて閑を送るもたのし」とある。木の色も真新しい橋の上に初雪がつもったことだ、の意。

    寒山自画自讃    在許六家蔵

七八一 庭はきて雪をわするゝはゝきかな(篇突) 

o庭の雪を掃きながら、その雪さえ忘れ去っている。悠々自在の心境を詠んだ句。

七八二 ひごろにくき烏も雪の朝哉(薦獅子)   

o上五「常ににくむ」(蕉翁句集)、前書「今朝東雲の比きそ寺のかねの音枕にひゞき起い

て見れば白たへのはなの樹にさておもしろく」。上五「つねにくき」(真蹟)。常ひごろはい

きらい憎く思う烏でも、雪の降った朝は何かしら趣のあるものだ、の意。

      元禄七年(一六九四)   五十一歳

    竹ノ讃

八六六 たはみては雪まつ竹のけしきかな(笈日記) 

o前書「伏見にて」(三河小町)。撓んでいるこの竹は雪を待って撓んでいるのだ、と感じた句。

九二八 木曾の情雪や生ぬく春の草(小文庫)

九五〇 雪間より薄紫の芽獨活哉(元禄年間―翁草)存 疑

大雪や婆々ひとり住藪の家(もとの水)  

深川の松はなくらむ雪の梅(句解参考)  

蕗の芽を降かくしけり春の雪(句解参考)  

松嶋や雪の白地の衣くばり(もとの水)   

寛文辛癸(亥)師走の末、梅雪老の許にて

餅雪の落やめば早梅芬々(句解参考)  

雪消へに簇はづるゝやなぎかな(句解参考)  

十二月四日

雪寒し馬にも乗ぬ我身哉(翁反古)

我身かな乗らぬ馬にも雪寒し(茗荷図会)   

はし書切失

雪白しいかさま三穂の冬なれや(翁反故)   

中七「いかさま不二の」(十家類題集)   

雪の竹笛つくるベう節あらん(もとの水)  

雪は雨あめは柳と成(なり)にけり (短冊)  

横吹や駒もいなゝく雪あらし(諸国翁墳記)