(一オ)

 

                                      

 

                                              

 

                                      

膳所 義仲寺

 

 

(一ウ)

      蕉翁像(省略)

        右蕉翁像者  古人杉風氏  所属也今應

        某子雋東都  岻霊再撰之

      蓑翁杉風画

 

(二オ)

芭蕉翁終焉記

はなやかなる春は、かしら(頭)重く、まなこ濁りて心

うし、泉石冷々たる納涼の地は、ことに濕気を

うけて、夜もねられず、朝むつけたり、秋はたゞ

かなしひを添る、膓をつかむばかりなり、ともかくも

ならでや、雪の枯尾花と無常閉関の折々は、訪

らふ人も便なく立帰りて、今年就中老衰なりと

歎あヘり、抑此翁孤獨貧窮にして、徳業にとめる

事無量なり、二千餘人の門葉邊遠ひとつに

 

(二ウ)

合信する因と縁との不可思議、いかにとも勘破しがたし

天和三年の冬、深川の草庵急火にかこまれ、潮に

ひたり、笘をかつぎて煙のうちに生のびけん、是ぞ玉の

緒のはかなき初也、爰に猶如火宅の変を悟り、無

所住の心を發して、其次の年夏の半に甲斐が根に

くらして、富士の雪のみつれなければと、それより

三更月下入無我といひけん、昔の跡に立帰りおはし

ければ、人々うれしくて、焼原の舊艸に庵を結び、しば

しも、心とゞまる詠にもとて、一かぶの芭蕉を植て、

 

(三オ)

雨中吟、はせを野分して盥(たらい)に雨を聞夜哉と、侘ら

れしに、堪閑の友しげくかよひて、をのづから芭蕉翁

と呼ことになむ成ぬ、其比圓覚寺大巓和尚と

申が、易にくはしくおはしけるによりて、うかゞひ侍るに

或時翁が本卦のやう見んとて、年月時日を古暦に

合せて、筮考せられけるに、華と云卦にあたる也、是は一

もとの薄の風に吹れ、雨にしほれてうき事の數々

しげく成ぬれども、命つれなく、からうじて世にある

さまにたとへたり、さればあつまると讀て其身は潜か

 

(三ウ)

ならんとすれども、かなたこなたより事つどひて、心ざしを

やすんずる事なしとかや、信に聖典の瑞を感じける、

さのごとく艸庵に入来る人々の道をしたへるあまり、

とにもかくにも慰むれば、所得たる哉、橋あり、舟あり、

林あり、塔あり、花の雲、鐘は上野か浅草かと、眼前の

奇景も捨がたく、をのをのがせめて思ふもむつまじく

侍れと、古郷に聊忍ばるゝ事ありとて、貞享初の年

の秋、知利(千里)を伴ひ、大和路よりよし野の奥も心残さず、

露とくとくこゝろみに浮世すゝかばや、是より人の見ふ

 

(四オ)

れたる茶の羽織、檜の笠になん、いかめしき音やあられと

風狂して、こなたかなたのしるべ多く、鄙の長路をいたはる

人々、名を乞、句を忍ぶこと、安からず聞えしかば、隠れかねたる

身を竹齋に似たる哉と、凩の吟行に猶々徳化して、正風の

師と抑ぎ侍る也、近在隣郷より馬をはせて来り、むかふる

もせんかたなし、心をのとめてと思ふ一日もなかりければ、心氣

いつしかに衰減して、病雁の片田におりて旅寝哉と、苦

しみけん、其年より大津膳所の人々いたはり深く、幻住庵

猿蓑に記あり、義仲寺ゆく所至る所の風景を心の物にして

 

(四ウ)

遊べる事、年あり元来混本寺佛頂和向に嗣法して、

ひとり開禅の法師といはれ、一気鉄鋳生(なす)いきほいなり

けれども、老身くづほるゝまゝに、句毎のからひたる姿までも

自然に山家集の骨髄を得られたる、有がたくや、されば

こそ、此道の杜子美也ともてはやして、貧交人に厚く

喫茶の會盟に於ては、宗鑑が洒落も教のひとかたに

成て、自由躰、放狂躰、世擧て口うつしせしも、現力也、凡

篤實のちなみ風雅の妙、花に匂ひ、月にかゝやき、柳に流れ、

雪にひるがへる須磨明石の夜泊、淡路島の明ぼの、杖を

 

(五オ)

引、はてしもなくきさ潟に能因、木曽路に兼好、二見に西行、

高野に寂蓮、越路の縁は宗祗・宗長、白川に兼載の

草庵、いづれもいづれも故人ながら、芭蕉翁についてまぼろしに

見え、いざやいざやとさそはれけん、行衛の空もたのもしくや、

奥のほそ道といふ記あり、十餘年がうち杖と笠とをはなさず、十日とも

止まる所にては、又こそ我胸の中を道祖神のさはがし給ふ

なりと語られし也、住つかぬ旅の心や置火燵、是は慈鎭

和尚の、旅の世にまたたび寝して艸枕□ゆめの中にも夢を

見るかなと、よませたまひしに、思ひ合せて侍るなり、遊子が

 

(五ウ)

一生を旅にくらして、はつと聞得し生涯をかろんじて、四

たび結びつる深川の庵を、又立出るとて、鴬や笋籔に

老を鳴人、泣るゝ別れなりしが、心待するかたがた、とにかく

かしがましとて、ふたゝび伊賀の古郷に庵をかまへ、三日月の記あり

爰にてしばしの閑素をうかゞひ給ふに、心あらん人にみせばやと

津の國なる人にまねかれて、爰にも冬籠する便ありとて、思ひ

立給ふも道祖神のすゝめ成べし、九月廿五日膳所の曲翠

子よりいたはり迎へられし返事に、此道を行人なしに

秋の昏と、聞えけるも終のしをりをしられたる也、伊賀山の嵐

 

(六オ)

紙帳にしめり有ふれし菌(くさびら)の塊積(つかえ)にさはる也と覚しがと苦し

げなれば、例の薬と云より水あたりして、長月晦の夜より床にた

ふれ、泄痢度しげくて物いふ力もなく、手足水ぬればあはや

とて集る人々の中にも、去来京より馳来るに、膳所より

正秀、大津より木節・乙州・丈艸、平田の李由、つき添て支考・

惟然と共に、かゝる歎きをつぶやき侍る、もとよりも心神の散乱

なかりければ、不浄をはゞかりて、人々近くも招かれず、折々の

詞につかへ侍りける、たゞ壁をへだてゝ命運を祈る聲

の耳に入けるにや、心弱きゆめのさめたるはとて

 

(六ウ)

      旅に病て夢は枯野をかけ廻る

また枯野を廻る夢心ともせばやと申されしが、是さへ妄執

ながら、風雅の上に死ん身の道を切に思ふ也と悔まれし、八日の

夜の吟なり、各はかなく覚えて  賀會祈祷の句

      落つきやから手水して神集め      木節

      凩の空見なをすや鶴の聲          去来

      足かろに竹の林やみそさゝゐ      惟然

      初雪にやかて手引ん佐太の宮      正秀

      神の留守頼み力や松のかぜ        之道

 

(七オ)

      居上ていさみつきけり鷹の顔      伽香

      起さるゝ聲もうれしき湯婆哉      支考

      水仙や使につれて床離れ          呑舟

      峠こす鴨のさなりや諸きほひ      丈艸

      日にまして見ます顔也霜の菊      乙州

是ぞ生前の笑納め也、木節が薬を死までもと頼み申され

けるも実也、人々にかゝる汚れを耻給へば、坐臥のたすけと

なる者、呑舟と舎羅也、是は之道が貧しくて有ながら切に

志をはこべるにめでて、彼の門人ならば他ならずとて、めして介抱の

 

(七ウ)

便とし給ふ、そもかれらも縁にふれて、師につかふまつるとは悦び

ながらも、今はのきはのたすけとなれば、心よはきもことはりにや、

各がはからひに、麻の衣の垢つきたるを恨みて、よききぬに脱かはし、

夜の衣の薄ければとて、錦繍のめでたきをとり調へたるぞ、門

葉の者共が面目也、九日十日は殊にくるしげ成に、其角

和泉の府淡の輪と云わたりヘ参たる便を、乙州に尋られ

けるに、なつかしと思ひ出たるにこそとて、頓(やが)て文したゝめて、む

かひ参りし道たがひぬ、予は岩翁・亀翁ひとつ船に、ふけゐ

の浦、心よく詠めて、堺に泊り、十一日夕大坂に著て、何心

 

(八オ)

なく翁の行衞覚束なしとばかりに尋ければ、かくなやみおはす

と云ふに、胸さはぎとくかけつけて、病床にうかゞひより、いはんかた

なき膝をのべ、力なき聲の詞をかはしたり、是年比の深志に

通じて、住吉の神の引立給ふにやと歓喜す、わかの浦にても

祈つる事は、かく有べしとも、思ひよらず蟻通の明神の物

とがめなきも、有難く覚侍るに、いとゞ汨せきあげてうづく

まり居るを、去来・支考がかたはらに招くゆへに、退いて妄昧の

心をやすめけり、膝をゆるめて、病顔を見るに、いよいよた

のみなくて、知死期も定めなくしぐるゝに

 

(八ウ)

      吹井より鶴を招かん時雨哉      晋子

と祈誓して、慰め申けり、先頼む権の木もありと聞えし

幻住庵は、浮世に遠し、木曽殿と塚を並べてと有し、

たはむれも後のかたり句に成ぬるぞ、其きさらぎの望月

の比と願へるにたがはず、常にはかなき句共あるを、前表

と思へば、今さらに臨終の聞えもなしとしられ侍り、露

しるしなき薬をあたゝむるに、伽の者共、寝もやらで、灰書に

      うつくまる薬の下の寒さかな      丈艸

      病中のあまりすゝるや冬籠        去来

 

(九オ)

      引張てふとんそ寒き笑ひ声        惟然

      しかられて次の間へ出る寒哉      支考

      おもひ寄夜伽もしたし冬こもり    正秀

      クジとりて菜飯たかする夜伽哉      木節

      皆子也みのむし寒く鳴盡す        乙州

十二日の申の刻ばかりに、死顔うるはしく、睡れるを期として、

物うちかけ、夜ひそかに長櫃に入て、商人の用意のやうに

こしらへ、川舟にかき乗、去来・乙州・丈艸・支考・惟然・正秀・

木節・呑舟・寿貞が子次郎兵衛、予ともに十人、笘もる雫袖

 

(九ウ)

寒き旅寝こそ、あれたひねこそあれとためしなき奇縁

をつぶやき、坐禪称名ひとりひとりに年比日ごろの頼もしき詞、む

つまじき教をかたみにして、俳諧の光を失ひつるに、思ひ忍

べる人の名のみ慕へる昔語を今更にしつ、東南西北に招

かれて、つゐの栖を定めざる身の、もしや奥松島、越の志ら山、

しらぬはてしにてかくもあらば、聞て驚くばかりの歎なら

んに、一夜もそひてかばねの風をいとふ事本意也、此期にあは

ぬ門人の思いでは、くもやと鳥にさめ、鐘をかぞへて伏見に着、

ふしみより義仲寺に移して、葬礼義信を盡し、京・大坂・大

 

(十オ)

津・膳所の連衆披官従者までも、此翁の情を慕へるにこそ、招か

ざるに馳来るもの三百余人なり、浄衣その外智月と乙州が妻

縫たてゝ着せ参らす、則義仲寺の直愚上人を導にして、門前

の少引入たる所に、かたのごとく木曽塚の右にならべて、土かいお

さめたり、をのづからふりたる柳も有、かねての墓のちぎりなむ

と、其まゝに卵塔をまねび、あら垣をしめ、冬枯のはせをを

植て、名のかたみとす、常に風景をこのめる癖あり、

げにも所はなから山田上山をかまへて、さゞ波も寺前に

よせ漕出る舟も、観念の跡を残し、樵路の鹿、田家の

 

(十ウ)

雁、遺骨を湖上の月に照らす事、かりそめならぬ翁也、

人々七日が程こもりて、かくまでに追善の興行、幸にあ

へるは予なりけりと、人々のなげきを合惑して、愚かに

終焉の記を残し侍る也、程もはるけき風のつてに

我翁をしのばん輩は、是をもて回向の便とすべし

    於粟津義仲寺牌位下                晋子書

      旹元禄七甲戌歳十月十二日


 

 

芭蕉翁の墓

(二オ)

芭蕉翁終焉記

はなやかなる春はかしら重くまなこ濁りて心

うし泉石冷々たる納涼の地はことに濕気を

うけて夜もねられす朝むつけたり秋はたゝ

かなしひを添る膓をつかむはかりなりともかくも

ならてや雪の枯尾花と無常閉関の折々は訪

らふ人も便なく立帰りて今年就中老衰なりと

歎あヘり抑此翁孤獨貧窮にして徳業にとめる

事無量なり二千餘人の門葉邊遠ひとつに

(二ウ)

合信する因と縁との不可思議いかにとも勘破しかたし

天和三年の冬深川の草庵急火にかこまれ潮に

ひたり笘をかつきて煙のうちに生のひけん是そ玉の

緒のはかなき初也爰に猶如火宅の変を悟り無

所住の心を發して其次の年夏の半に甲斐か根に

くらして富士の雪のみつれなけれはとそれより

三更月下入無我といひけん昔の跡に立帰りおはし

けれは人々うれしくて焼原の舊艸に庵を結ひしは

しも心とゝまる詠にもとて一かふの芭蕉を植て

(三オ)

雨中吟はせを野分して盥に雨を聞夜哉と侘ら

れしに堪閑の友しけくかよひてをのつから芭蕉翁

と呼ことになむ成ぬ其比圓覚寺大和尚と

申か易にくはしくおはしけるによりてうかゝひ侍るに

或時翁か本卦のやう見んとて年月時日を古暦に

合せて筮孝せられけるに華と云卦にあたる也是は一

もとの薄の風に吹れ雨にしほれてうき事の數々

しけく成ぬれとも命つれなくからうして世にある

さまにたとへたりされはあつまると讀て其身は潜か

(三ウ)

ならんとすれともかなたこなたより事つとひて心さしを

やすんする事なしとかや信に聖典の瑞を感しける

さのことく紳庵に入来る人々の道をしたへるあまり

とにもかくにも慰むれは所得たる哉橋あり舟あり

林あり塔あり花の雲鐘は上野か浅草かと眼前の

奇景も捨かたくをのをのヘかせめて思ふもむつましく

侍れと古郷に聊忍はるゝ事ありとて貞享初の年

の秋知利を伴ひ大和路やよし野の奥も心残さす

露とくとくこゝろみに浮せすゝかはや是より人の見ふ

(四オ)

れたる茶の羽織檜の笠になんいかめしき音やあられと

風狂してこなたかなたのしるへ多く鄙の長路をいたはる

人々名を乞句を忍ふこと安からす聞えしかは隠れかねたる

身を竹齋に似たる哉と凩の吟行に猶々徳化して正風の

師と抑き侍る也近在隣郷より馬をはせて来りむかふる

もせんかたなし心をのとめてと思ふ一日もなかりけれは心氣

いつしかに衰減して病雁の片田におりて旅寝哉と苦

しみけん其年より大津膳所の人々いたはり深く幻住庵

猿蓑に記あり義仲寺ゆく所至る所の風景を心の物にして

(四ウ)

遊べる事年あり元来混本寺佛頂和向に嗣法して

ひとり開禅の法師といはれ一気鉄鋳生(なす)いきほいなり

けれとも老身くつほるゝまゝに句毎のからひたる姿まても

自然に山家集の骨髄を得られたる有かたくやされは

こそ此道の杜子美也ともてはやして貧交人に厚く

喫茶の会盟に於ては宗鑑か洒落も教のひとかたに

成て自由躰放狂躰世擧て口うつしせしも現力也凡

篤実のちなみ風雅の妙花に匂ひ月にかゝやき柳に流れ

雪にひるかへる須磨明石の夜泊淡路島の明ほの杖を

(五オ)

引はてしもなくきさ潟に能因木曽路に兼好二見に西行

高野に寂蓮越路の縁は宗祗宗長白川に兼載の

草庵いつれもいつれも故人なから芭蕉翁についてまほろしに

見えいさやいさやとさそはれけん行衛の空もたのもしくや

奥のほそ道といふ記あり十餘年かうち杖と笠とをはなさす十日とも

止まる所にては又こそ我胸の中を道祖神のさはかし給ふ

なりと語られじ也住つかぬ旅の心や置火燵是は慈鎭

和尚の旅の世にまたたひ寝して艸枕ゆめの中にも夢を

見るかなとよませたまひしに思ひ合せて侍るなり遊子か

(五ウ)

一生を旅にくらしてはつと聞得し生涯をかろんして四

たひ結ひつる深川の庵を又立出るとて鴬や笋籔に

老を鳴人も泣るゝ別れなりしか心まちするかたかたとにかく

かしかましとてふたゝひ伊賀の故郷に庵をかまへ三日月の記あり

爰にてしはしの閑素をうかゝひ給ふに心あらん人にみせはやと

津の國なる人にまねかれて爰にも冬籠する便ありとて思ひ

立給ふも道祖神のすゝめ成へし九月廿五日膳所の曲翠

子よりいたはり迎へられし返事に此道を行人なしに

秋の昏と聞えけるも終のしをりをしられたる也伊賀山の嵐

(六オ)

紙帳にしめり有ふれし菌(くさびら)の塊積(つかえ)にさはる也と覚しかと苦し

けなれは例の薬と云より水あたりして長月晦の夜より床にた

ふれ泄痢度しけくて物いふ力もなく手足水ぬれはあはや

とて集る人々の中にも去来京より馳来るに膳所より

正秀大津より木節乙州丈艸平田の李由つき添て支考

惟然と共にかゝる歎きをつふやき侍るもとよりも心神の散乱

なかりけれは不浄をはゝかりて人々近くも招かれす折々の

詞につかへ侍りけるたゝ壁をへたてゝ命運を祈る聲

の耳に入けるにや心弱きゆめのさめたるはとて

(六ウ)

      旅に病て夢は枯野をかけ廻る

また枯野を廻る夢心ともせはやと申されしか是さへ妄執

なから風雅の上に死ん身の道を切に思ふ也と悔まれし八日の

夜の吟なり各はかなく覚えて  賀会祈 の句

      落つきやから手水して神集め      木節

      凩の空見なをすや鶴の声          去来

      足かろに竹の林やみそさゝゐ      惟然

      初雪にやかて手引ん佐太の宮      正秀

      神の留守頼み力や松のかぜ        之道

(七オ)

      居上ていさみつきけり鷹の顔      伽香

      起さるゝ聲もうれしき湯婆哉      支考

      水仙や使につれて床離れ          呑舟

      峠こす鴨のさなりや諸きほひ      丈艸

      日にまして見ます顔也霜の菊      乙州

是そ生前の笑納め也木節か薬を死まてもと頼み申され

けるも実也人々にかゝる汚れを耻給へは坐臥のたすけと

なる者呑舟と舎羅也是は之道か貧しくて有なから切に

志をほこへるにめてて彼の門人ならは他ならすとてめして介抱の

(七ウ)

便とし給ふそもかれらも縁にふれて師につかふまつるとは悦ひ

なからも今はのきはのたすけとなれは心よはきもことはりにや

各かはからひに麻の衣の垢つきたるを恨みてよききぬに脱かはし

夜の衣の薄けれはとて錦繍のめてたきをとり調へたるそ門

葉の者共か面目也九日十日は殊にくるしけ成に其角

和泉の府淡の輪と云わたりヘ参たる便を乙州に尋られ

けるになつかしと思ひ出たるにこそとて頓(やが)て文したゝめてむ

かひ参りし道たかひぬ予は岩翁亀翁ひとつ船にふけゐ

の浦心よく詠めて堺に泊り十一日夕大坂に著て何心

(八オ)

なく翁の行衞覚束なしとはかりに尋けれはかくなやみおはす

と云ふに胸さはきとくかけつけて病床にうかゝひよりいはんかた

なき懐をのへ力なき聲の詞をかはしたり是年比の深志に

通して住吉の神の引立玉ふにやと歓喜すわかの浦にても

祈つる事はかく有へしとも思ひよらす蟻通の明神の物

とかめなきも有難く覚侍るにいとゝ汨せきあけてうつく

まり居るを去来支考かかたはらに招くゆへに退いて妄昧の

心をやすめけり膝をゆるめて病顔を見るにいよいよた

のみなくて知死期も定めなくしくるゝに

(八ウ)

      吹井より鶴を指かん時雨哉        晋子

と祈誓して慰め申けり先頼む権の木もありと聞えし

幻住庵は浮世に遠し木曽殿と塚を並へてと有し

たはむれも後のかたり句に成ぬるそ其きさらきの望月

の比と願へるにたかはす常にはかなき句共あるを前表

と思へは今さらに臨終の聞えもなしとしられ侍り露

しるしなき薬をあたゝむるに伽の者共寝もやらて灰書に

      うつくまる薬の下の寒さかな      丈艸

      病中のあまりすゝるや冬籠        去来

(九オ)

      引張てふとんそ寒き笑ひ声        惟然

      しかられて次の間へ出る寒哉      支考

      おもひ寄夜伽もしたし冬こもり    正秀

      門とりて菜飯たかする夜伽哉      木節

      皆子也みのむし寒く鳴盡す        乙州

十二日の申の刻はかりに死顔うるはしく睡れるを期として

物うちかけ夜ひそかに長櫃に入て商人の用意のやうに

こしらへ川舟にかき乗去来乙州丈艸支考惟然正秀

木節呑舟寿貞が子次郎兵衛予ともに十人笘もる雫袖

(九ウ)

寒き旅寝こそあれたひねこそあれとためしなき奇縁

をつふやき坐禪称名ひとりひとりに年比日ころの頼もしき詞む

つましき教をかたみにして俳諧の光を失ひつるに思ひ忍

へる人の名のみ慕へる昔語を今更にしつ東南西北に招

かれてつゐの栖を定めさる身のもしや奥松島越の志ら山

しらぬはてしにてかくもあらは聞て驚くはかりの歎なら

んに一夜もそひてかはねの風をいとふ事本意也此期にあは

ぬ門人の思いくはくそやと鳥にさめ鐘をかそへて伏見に着

ふしみより義仲寺に移して葬礼義信を盡し京大坂大

(十オ)

津膳所の連衆披官従者までも此翁の情を慕へるにこそ招か

さるに馳来るもの三百余人なり浄衣その外智月と乙州か妻

縫たてゝ着せ参らす則義倖寺の直愚上人を導にして門前

の少引入たる所にかたのことく木曽塚の右にならへて土かい

さめたりをのつからふりたる柳も有かねての墓のちきりなむ

と其まゝに卵塔をまねひあら垣をしめ冬枯のはせをを

植て名のかたみとす常に風景をこのめる癖あり

けにも所はなから山田上山をかまへてさゝ波も寺前に

よせ漕出る舟も観念の跡を残し樵路の鹿田家の

(十ウ)

雁遺骨を湖上の月に照らす事かりそめならぬ翁也

人々七日か程こもりてかくまてに追善の興行幸にあ

へるは予なりけりと人々のなけきを合惑して愚かに

終焉の記を残し侍る也、程もはるけき風のつてに

我翁をしのはん輩は、是をもて回向の便とすへし

    於粟津義仲寺牌位下                晋子書

      旹元禄七甲戌歳十月十二日